2009年11月10日火曜日

機法一体 二種深信について

 機法二種深信についての教学について書かれている方がいましたが、あっているかのようにみえますが実は肝心なところが欠落していることが多いと私なんかはあらさがしができてしまいます。おそるべし、石は沈む、沈む自性をしればいいというのは邪義です、そんなことどこにも書いてませんので、明らかにこれは機の深信とはいえません、残念無念、な感じですがこんなこと本人にいうと頭から湯気をだされることまちがいないですが、まだ信などないという人のほうがこれなら救いがあるというものだ、かえってこれが信であるというようなモノを自分で創造することが恐ろしい。凡夫であるといいながら見事に機の深信について別解を堂々と書くのは誹謗正法ではなかろうか、まぁ本山は信心についていろいろなトラブルを抱えるわけにはいかないので統制するために異安心について取り締まっているのかもしれないね、それにしてもなんか書かないといけないというわけでもないが、わからない人に責任を持たせても仕方の無いことだが、それを真実と受け止める人が哀れに思う。

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