2009年11月12日木曜日

不言実行 

 日記だから、一人ごとをぶつぶついっているだけなのは少し空しいが、讃仏というわりには、あまり法の話を書いてないなと思う、昨日、不言実行でいいといわれたんだけれどね、黙って働くみたいな感じかな、文句いいながら、周りに迷惑かけるのなら、意味はないからね、念仏を勧めはするものの、伝わるかどうか難しいから、文章ではなく口授を用いよと聖典にあるのだから、書いて何か残すと恐ろしい弊害を産む可能性がある、だから昔の人は聖典から外れることのないようにされたのだろう、経の解釈を個々人でするのを周りがあれこれとああでもない、こうでもないといいながら、結論がでないのは、だれもわからないから、わからんくせにわかったようなことをいっているお互い、自分は何もわからんが、如来が全てするということはわかる、任せると口で言いながら、心からそうなれるのかと思うけど、阿弥陀如来に教えられればわからないはずがない、人間なんて何もわからない、どれだけ偉い先生でも何もわかっていない人がとても多いのが、現実である、しかし、三毒五悪段をいわなくなったのは、話す人の油断にあるのだろう、実際はそういう話が必要であるといつも思うのだけど、どうでもいいという意見が大半なところに求道上弊害があると私は思う、二種深信と明確にあるのに、一種深信でいいという僧が圧倒的に多いのは僧自身に他力の信仰を求める人がいないからである、惰性で職業をする人が多いのを責めるのは酷であるが、信を求めよという立場の人が信を求めないのは自己矛盾してはいないだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿