2011年9月3日土曜日

また、思い直して書き足してみる

今日は、今まで、自分のことばかりだったので、
阿弥陀如来について、
少し想うところを書いてみます。

いつも、私の中にいて、穏やかな光を放ち、
私を包み、癒し、慰めてくれます。

私が自分が感じ入ることの1つに、自分の悪業のこと
があります。みな、自分が悪いと思えといわれますが
みんな悪いじゃないかと、そのとおりです

自分以外のみんな悪い、悪いことというのは、法律的に
道義的に悪いというばかりではなく、仏の目からみた場合
悪因というのは、自分の身に悪い結果が返ってくるかどうか
悪果が実を結ぶかどうかという事です

それは誰も肩代わりしてくれない、悪果は自ずから受けないと
いけない。それが自因自果、自業自得という言葉ですね

しかし、他力本願はその理を超越します

自因他果、自業他得。他因自果、他業自得です

何がいいたいか、それは私の作った罪を阿弥陀如来が引き受けます

それが前段、そして後段は、阿弥陀如来の作った本願によって成仏します

この因果の連鎖から抜け出し、仏になります。

厭離穢土、欣求浄土 南無阿弥陀仏 度衆生心は願作佛心

ただ念仏せよ、必ず救うと。私の罪を引き受けて、いくら苦しんでも後悔しないと

阿弥陀如来の誓いがはっきりと宣言されているのですから。
私の怖い罪を全て引き受けてくれた、如来に有難うございましたという日々です。