それで、仏は、究極の方法を編み出したのですね。
自分の方から、助けさせてくださいと、常に願いを立てれば、それに叶うものは
救われると。 かの有名な法然上人の、(かの願に叶うが故に)です。
つまりですね、向こうのお願いに叶う。これなんですね。助けさせてくださいに対して
分かりましたよ、負けましたよと、助けさせてあげましょうと私たちが傲慢に
受け入れてもですね、助けてくれるように作ってあるわけです。
逆にですね、助けてくだされといったから、大丈夫とおもっていると怖いのかも
しれませんね。ただね、その前提としてね、法話があるのかなとも思いますね
なして助けてもらわなやいかんのかと、あんた大変な目に逢うよと
信じないだろうけどねと。この話信用する人一人もおらんといっているのは
なにを隠そう阿弥陀如来なんですよと、知ってます、私たちが信用も、受け入れも
しないことも。でも助けたいのです、仏としては。それで向こうの方からですね
助けさせてくださいと、ずっと、ずっとお願いしているのです。ずっと気の
遠くなるような昔から、ずっとです。助けさせてくださいとね。
それを無視すること無量劫年です。ようやく、助かった人はそのことを喜びます。
方法なんてなんでもいいんですよ。怖いからたすけてといえばいい。
いえなかったら、助けさせてくださいという願に仏にしたいという願いに
気がつけば、その慈悲に触れることが肝要です。
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