2014年4月13日日曜日

諸苦毒中 我行精進 忍終不悔

諸々の苦しみと毒の中、私は行を精進すると、終わるまで耐え忍ぶことを悔いはしない。

この行を行ったのは阿弥陀如来です。私の苦しみと毒を消すために苦しみ、毒の中に落ち

終わるまで後悔はしないと。出来上がったのが南無阿弥陀仏です。

善、非善を問わず、ただ私の罪と罪業と苦しみを憐れんで、次の生は私の国に生まれたいと

欲いなさいと。生まれたいと思ってください、お願いしますと。それだけでよいのですよと。

南無阿弥陀仏。後生の一大事を心にかけてとは、死後の苦しみ、恐怖をみすえてと、一心に

阿弥陀如来に帰命するとは、仏の国に、仏として生まれたいと思うということです。

条件は何もない。ただ生まれたいと思うだけ。生まれたいと思う。そのためには真実から目を

そむけては届かない。恐怖と苦しみは自分の因果によるものであることから逃れられないこと

からくる。悪因は悪果を感じ、善因は善果を感ず、悪人は冥より冥へと。仏門に入ると、この理

より、菩提心を得て、善因を修めなくてはならないのですが、親鸞聖人は一善の行も及びがたき

身なれば、地獄は一定すみかぞかしと言われた。 悪因は悪果を感ずより、善因をおさめようと

したけれども、ひとつの善もできないと、善果を感じられないと、いよいよ御先真っ暗だと

そこでどうしたらよいかと、何もしなくても、何もできない人のために、阿弥陀如来が代わりに

善果もたらす善因をつくり、悪果を感じる悪因を消す行を信じられないくらい長い間、苦しみ抜いて

やっとできた願いは、ただ阿弥陀如来の国に生まれたいと思うだけで救われる。

救ってもらおうかなと、助けてくれるかな、助けてもらいたいなと思うだけで救われる。

疑いのなか、信じられない私のために、非常に低いハードルなんです。信じなくても救ってくれます


助けてほしいと言えなければ、仏の国に生まれたいと思ってくださいと、阿弥陀如来がお願いして

いるのです。向こうからお願いしますと、お願いされている。ありがとうございますとは言えない。

助けてくれるのだろうか、助けてもらおうかなと、一瞬でも思ったら。救いますよと。





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