それでその鬼そのものわたしの魂が常々、何かすると因つまり、種をまくわけです、生死という畑に自分の因をまくわけですよ。鬼の本性を持つ私の魂が因を撒くけっか生る実はすなわち悪果しかないわけですね。 ここが悪人正機という話にもつながってくるわけです。こういう鬼そのものの魂の持ち主の因は悪因しかない、悪因しか存在し得ないわけです。
結局行き着く先は苦しみの世界しかないといわれていますが、その原因を除くには良い魂がいるわけですが、自分の本当の性質、心の性質が鬼なのに、どうやって変えることができましょうか。
結局行き着く先は怖い恐ろしい世界しかないのですが、じつはそれに慣れていまして、それしかないのですから、それが当たり前なんですね。怖い世界に行くと言われれば不安でたまらなくなりますが
自分はそんなに悪くはないと思っているので、悪いことしかできないといわれれば否定するわけです
そして、結局地獄極楽の話は嘘で迷信でアホか精神病患者の戯言になってしまうわけですよ
しかし、現実に自分の性質が悪でしかないので受ける結果は悪果しかありません。
そしてそれを作るのは日常の生活なんです
死ねば悪果を受ける側、いまは作る側というわけです
生とは悪因をつくる世界 死とは悪因を受ける世界となりますね
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