それを三世因果の道理にあてますと、いま殺した生き物は
前の世界において私を殺した者であるとなると説かれている
つまり、殺因と殺果は同じでありまして、殺果があるという
ことは殺因があると、因縁果というわけです。何かを殺す
ということがあればすなわち、殺される因もむすんでいる
これが因果の道理なわけですね。一体どれほどの因を結んで
いるのだろうか。またどれほどの果が帰ってくるだろうかと
業というのは、宿業と説かれています、つまり宿っている
自分の業行は宿っていることですと。これは先ほどの殺因
殺果の話とつながります。前世から作っている因というもの
が果をうける何か、悪果であるか楽果であるかはわかりません
が、それが私たちの身体にも魂にも宿っているわけです。
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