私は、この信心の話は、きちんと伝えることが
出来たのならば、そして、当人が如来の行によると
自分の行を捨て、如来に助けてもらうしかないと
現状において、どうしようもない現実を受け入れたら
阿弥陀如来の行に頼るしかないとなると思います。
そこで私の想いを振り返っているわけですが、
命や魂というものを考えてみたときに、たとえば
犬の身体に生まれれば、犬となり、人間の身体に
生まれれば人となると。 そして、動物の魂も
人の魂も同じであり、その性は悪性であると。
生きるということはすでに、ほかの生ある魂の
命を奪うということですから、自分と同じ魂を
もつ生き物と縁を結ぶということになるわけです。
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