ここでは一人で一人ごとばかりをつづっていますので、
誰か信心を得られるきっかけになるやならんかですが
自分の体験を鑑みて何か書いておこうと想うときに書いています。
因果と生死と繋げ、業と輪廻もつながり、それぞれが別々ということには
なりません。基本仏教は生死をへだつ存在、生死を超越した存在になることを
目指しています。仏になることを目指すのが仏道修行であるといえます。
そのためにいろいろなことを言う人がいていろいろなことをしています。
真宗ではその仏になる種を阿弥陀如来に成らせて欲しい、成仏したいよと
言えば、そうしてくれるんですよと教えています。
しかしながら、人の心や根性はそれが現実だとは受け入れませんで、あることしか
分かりません。目の前に火の世界、業火の世界が繰り広げられ、また苦しみの世界に
行くぞといわれれば、恐怖を煽るなといわれてしまいます。
そうなるから、それが嫌だから、助けて欲しいと思う事が、念仏であるといえば否定されます
実はその原因はそういう理屈の中に実際に煽って、恐がらせて、結局解決しない信心であるからです
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