2012年4月8日日曜日

死の今際に

人は必ず死にます、そして、死の今際に、もし信心が違い

暗闇に向かわんとなれば、その恐ろしさは言葉では

とても表現できないものとなるでしょう。

厭離穢土、欣求浄土。穢い身体を捨てて、浄らかな

身体を受ける。このようになれば良いのですが、

また多劫を経るというようなことになれば、不幸ですね。

欲生我国、摂取不捨。この穢土を厭い離れ、浄土を欣い求めよ

我が国に生まれたいとおもえ。捨てて離さなさいとあります。 

今の生きている世界を離れて、阿弥陀仏の国に生まれたいと

おもえとあり、その意味をきくことがそのまま、

仏説になります。三世因果の道理しかり、善因善果

悪因悪果の理、衆生の怨をもって悪をなすという言葉しかり

因果輪転して絶えることがなく、常に身に従う。

殺因は殺果であり、悪の自性ガなす因は悪の果を招く。

悪性の衆生どうしで、悪因縁を増やすことがあっても

減ることはありません。常に身から口から意識から

自分の姿を知れば一体何をやっているのだろうかと。

私の受けた話は、往生要集にある一説で、衆生は

怨をもって悪をなし、皆これ同じ。

短い一説ではありますが、核心をついています。

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