2012年4月8日日曜日

つづき

衆生とはすべての生きとし生けるものを指すことは

以前から言っているとおりでございまして、私の

姿がただ人の姿をとっているのは、この魂が、人の

肉体を受けた故に人なのです。これが、牛や他の家畜

あるいは、虫やいろいろな生物だとすれば、その姿に

生まれ出てくるわけです。 すなわち、ほかの生物の

姿や行動からも、因縁果が見られるわけですね。

強いものは弱いものを食し、すべて繋がっている。

殺した者は殺され、その繰り返しをする。自分の

殺した相手も、自分で手を汚さないまでも、何がしか

の命を奪わなければ、生きてはいけない。これは

殺因を成さなければならない世界で生きていると

いうことになるのではと自分は思いました。

つまりは、殺された果があったから、今殺すのであって

何気なしに殺生を行っているわけではないということです。

殺果ゆえに殺因を成すということなのです。

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