2009年12月18日金曜日

書きたくなったので書こうと思います

 最近法縁もあり、色々なことを思うのですが、私は自分の体験や信仰について語るのは少し趣きとしては違うことも言うだろうし、間違ったことを言っていながら、自分は正しいという事を思い込み他人に迷惑をかける事を私はおそれますのであまり深く教義に触れるのはよします。ただ好きな経典の文章をそのまま書いて、その文自体の意味するところが少しでも伝われば、それに越したことはないですが、何回も言っているのですが、文章では難しいです。経典があります、その経典で伝わらないことが私の文章で伝わるという事のほうがおかしいのです。ですから原典が最上です。わたしは南無阿彌陀仏について思うことを書いて他の人が気づくかどうか試したことがありますが、不可能であると同時に害悪でしかないような気さえしました。リアルタイムのチャットならまだいいかもしれませんけどね。
『念仏往生はもとより破戒無智の者のためなり。もし智慧もひろく、戒をも全くたもつ身ならば、いづれの教法なりとも修行して生死を離れ菩提を得べきなり、それが我身に能はねばこそ、今念仏して往生をば願へ。』
いいですね、後世物語聞書からです、この内容を聞くことが重要なんですよ。このままです、注釈はいりませんね。南無阿彌陀仏 ずっと考えていたことなんですが、色々と書いていたんですが、結局は書いていてもそれは伝わるのは非常に難しいということですね。理由は私が独り言をいっているだけだからです。何をかいていてもなかなか難しいという事が最近よく理解できます。ですのでこの日記自体もあまり意味がないのかもしれません。でも好きな経典の文章を注釈なしで載せるくらいならいいですかね。本当に勧めになるのはそういう事のような気がします。

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