2016年9月12日月曜日

私の聞いたこと

 まず、現在の浄土経において、修因感果という理を
いうことが肝要であり、三世因果の理を説くことも重要である
はずなのですが、もともと、いかんせん地獄に落ちるということを
誰も説き切れるものは居ません。
なぜならば、逆説で考えると私がこの世に生を受け、人となり
さらに信心を起こすことが因果の理からして
ありえないからです。地獄は一定な私が今、人として生をうけ
生きていること自体が矛盾するからですね。
因果の論理をひもとくのは尋常ではありません。
然し修因感果の道理は一番、わかりやすく。
私から言えば、簡単ではないにしろ、怖い結果を招くものをもっているから
怖いんだという仏の理を受けて、それが後生で炸裂するか否かまで
はっきりとは分かりませんが、悲惨な死に方をする人もいるわけで
やはり油断大敵であります。
リスクを避けるという点でも。死んだあとのことに少しでも
恐怖を感じるということなら、仏の救済にチャレンジしてみましょう。
死んだあと仏の国に生まれて、仏になりたいと思う。
この根拠は。因果がない世界に生まれるから死なない世界にうまれる
つぎに、仏になるのだから悪いことをしなくなる。
悪いことをしてその恐怖におびえなくて済むようになる
仏のみ名を聞くだけ。唱えるだけの功徳を頼むより
後生を仏の国にする。前も今も仇と恨みばかり
この先も永遠に続きます。ここを離れて仏の国に生まれることを
ねがうばかりです。駄文ですがここまで
南無阿弥陀仏 弥勒菩薩の名前を聞くだけで地獄には落ちないそうです。
しかし願わくば仏の国に生まれたい。 殺し殺されなくなります。
殺果を受けることのみでもおそろしいのに殺因をつくることからも逃れられない。
永遠に生と死をくりかえす、その世界から出して仏にするために
私の代わりになんども苦しみぬき。私の為に切り裂かれ毒におかされ
焼き焦がされ、さらに私を仏にするために修行した仏が阿弥陀如来という。
しかし簡単なことに私はこの世界から助けてと。仏にしてくれると
仏の国に生まれさせてくれると。なんにもしていないのにね
ただ苦しめるだけの自分を救うと後悔はしないと
南無阿弥陀仏 
仏の国に生まれたい、生まれさせてくれる光をくれる。
私の心の中に宿る光を私は信じている。
それでみなに勧める ただ生まれたいと思うだけでよいのだと
仏の国に

0 件のコメント:

コメントを投稿