一応、並べて書いてみるとこうなります。自分の悪性は罪体で
悪業に縛られ、悪因は悪果をうみ、それを自分で解決することを
自力という。 雑行雑修自力の心を振り捨てて、一心に阿弥陀仏に
回向すれば、往生は治定せしめたもう。
整理すれば、自分のやること、なすこと全て罪体の悪性による
もので、悪果のみしか引くものがない。つまりすべての行動が無駄
ゆえに、阿弥陀如来は助けてくれるわけです。
その行が阿弥陀仏、その力に帰依する。阿弥陀如来の行は行とは
行いでありまして、またその結果、願いでありましょう
表現において私のおよぶところではありませんが、
罪しかつくることができない、罪体のみの自分において、このような
素晴らしい南無阿弥陀仏をいただくことを幸福に思い、
念仏します。 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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