2011年11月19日土曜日

悪性 罪体 悪業 悪因悪果 自力

一応、並べて書いてみるとこうなります。自分の悪性は罪体で

悪業に縛られ、悪因は悪果をうみ、それを自分で解決することを

自力という。 雑行雑修自力の心を振り捨てて、一心に阿弥陀仏に

回向すれば、往生は治定せしめたもう。 

整理すれば、自分のやること、なすこと全て罪体の悪性による

もので、悪果のみしか引くものがない。つまりすべての行動が無駄

ゆえに、阿弥陀如来は助けてくれるわけです。

その行が阿弥陀仏、その力に帰依する。阿弥陀如来の行は行とは

行いでありまして、またその結果、願いでありましょう

表現において私のおよぶところではありませんが、

罪しかつくることができない、罪体のみの自分において、このような

素晴らしい南無阿弥陀仏をいただくことを幸福に思い、

念仏します。 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

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