2011年6月18日土曜日

つづき2

そうなれば、いかにすれば、私を救うことができるかということをすでに
用意してあるわけです。私の方からは決して望んでたのまないから

向こうの方から、助けさせてくださいとお願いされているわけです。
私は自分からたのんで、救ってもらったんではないです、向こうから
お願いされていることを教えてもらっただけです

そしてそれに導かれただけだという事です。

願いなんです、仏の願い、阿弥陀如来のあなたを救いたいというお願い

しかし、次に苦しみの世界はない、自分は悪くないと頑なにいう自分の
本性といいますか、性格ゆえに受け入れらないだけです

でありますから難しいと説かれているのです。

私の性格が難しいんですね、しかしそれは必ずおこりますから
とても不安で仕方ないということになってしまうわけです

悪因は悪果を感じ、善因は善果を感ず。修因感果の道理です

悪果を自分で処理するか、仏にすべて任せるかという話なんです

それで悪果を仏に任せるというのが南無阿弥陀仏の本当の意味ですね

まかせるという言葉だけでは少し不十分であるかのように思います

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

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