2010年9月23日木曜日

 今雷が鳴っています、子供から思春期そして青年期においては
非常に恐ろしく恐かったのを覚えています。
感性が鈍ったのか今ではなんとも思いませんが

子供は暗闇を非常に恐れ、恐怖します。小さいものごころつかない
子供は特に恐れます。自らが産まれる前の記憶がそうさせるのかも
しれません。 雷の音を聞くときに地獄の音に比べればそれほど
恐くはないにしても自然現象でさえ、自らの命を奪う恐れのある
光や音に畏怖してしまうのであるなと思っています

魂が本性がいろいろと覚えているのではないかと思います
そして次の世界に対する恐怖、苦因は苦果を感じ、楽因は楽果を感じる
苦因はとあります これは苦しみのタネです苦果は苦しみの実です
苦しみのタネをもっていれば、苦しみの実がなるのが分かるとあります

恐いのは苦しい結果を受ける原因をもっているからであると
説かれています
楽因は楽果を感じる
楽な結果を生み出すタネをもっていれば楽果を感じるのですから
恐怖はないはずです

私はこの経文を読んだときあまりにも当てはまるのでなんと尊い
経典かと感じたものです
短い言葉のなかに要点がそのまま書いてありますし
また感覚的にわかるのですからさすが佛語であります

簡単です、恐いのは苦因をもっているからです
苦因を消してくれる仏がいます

けしてくださいといってみてください
南無阿弥陀仏 南無不可思議光

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