2010年8月14日土曜日

地獄 極楽2

 毎日 ありとあらゆる事を考え 妄想したりまた泣いたり
 笑ったりといろいろとあると思います
 
 殺される命について考えることもなくまた殺したことも
 忘れ 懺悔することもなく日々を過ごします
 
 そして死がくると いままでしたことが全て精算されます
 
 殺した命と助けた命 自分の心で作った罪 またよい想いなら
 それもカウントされてゆきます
 
 魂という字は本質を捉えています 鬼という この字

 鬼 殺される相手からみれば鬼ですね そして鬼が喜怒哀楽
 のまま 自らの欲望のため 毎日過ごしているのです
 
 お互い生きている者は全てこれなのです。

 魂とは良く書いてあります。殺すあいても殺されるあいても
 その本質は鬼 鬼同士で命の奪いあいを永遠に繰り返すしかない

 それが輪廻なのです 無数の因縁と鬼の魂がつくりだす悪業と罪業
 相手も鬼なのです 私も鬼ならば 死ねばされるほうに廻る
 いまは殺すほうならば次は殺されるほう

 しかしながら死後の世界は今生で作った罪だけではなく産まれる前
 から作っている罪 鬼の本性である魂なのですから作る種は悪種
 しかないのです。 

 ここで唯知作悪 と この極めて重く悪い罪をもっている悪い人  
 であるとそしてその罪は果てしなく深く重いという現実があるのです
 全ての衆生の本性は鬼であると説かれているのですから

 欲望は各々自らを心地よくせんためにある そのためには手段を選ばない
 食欲を満たすために命を奪う また若いほうが新鮮なほうがうまいと
 いって喜んでいます これひとつみても欲の本質は鬼です

 つまり魂の本質は鬼であり罪の源ですからその欲からうまれる行動も
 悪因となってくるのです

 つまるところ死後の結果は悪果のみとなる

 これを後生の一大事と説かれています 後生の一大事をこころにかけて
 弥陀を一心一向にたのみまいらせれば

 阿弥陀如来はそんな私達の姿を見るに見かねて 代わりにいかなる苦しみ
 つらさにも耐えて 私達の悪業をとりのぞき仏として生まれさせて
 この流転の因果の世界から鬼の魂をもつ私達を救済するべく永遠とも
 いえる修行をし この世界からでよ わが世界の生まれたいと欲え
 欲生我国 摂取不捨 厭離穢土 欣求浄土 南無阿彌陀仏
 
 死ねば仏にし 因果の世界から抜け出させることに不満のある方はいないと
 
 南無阿彌陀仏 南無不可思議光 

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