2010年2月7日日曜日

月愛三昧

 今日はちょっとマニアックな話を書こうと思っています。
月を愛すことを三昧するという表現が聖典に出てくるのですよ。
月って綺麗ですよね、私は好きです。別におおげさに月を愛さなくては
いけないのならこんな表現は適当じゃないですよね。愛月せよみたいに
書いてあるはずですからね。そうじゃないですね。これは状態を指して
いますよね。月を愛してやまない気持ちになるという事ですね。
でも意味があるんですよ。月って信心にたとえてあるんですよ。
月ってみなさんご存知のように太陽の光が反射して夜空に輝いているの
です。月が輝くのは太陽の光の力です。眺める人の心に住むという
話とは別の話ですが、つまり、どういう事かといいますと。月の
状態になれば、月が好きになるということです。自分の心が月とすれば
その光は太陽に照らされて輝くということを実感するということですね。
太陽は月をすでに照らしていますが、人それぞれ照らされるべきは
阿弥陀如来の光であると私は思いますね。南無阿弥陀仏
善導大師の疑わざるべきことを疑うことを恨むべきと
ただ廻すると廻さざるににあり。ということば
この字は周り巡るか廻巡らないかにありとありますね。
同じでしょ、月と太陽と。
私たちは阿弥陀如来を中心に廻る月のようになるか
ならないかにあるという事ですね。
面白かったですかね。今日は以上です。

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